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横浜地方裁判所小田原支部 昭和46年(ワ)80号 判決 1975年1月29日

昭和四六年(ワ)第八〇号事件原告

中村芳子

昭和四八年(ワ)第一八六号事件原告

東京西南私鉄連合健康保険組合

被告

椎野篤子

ほか二名

主文

第一(第八〇号事件について)

一  被告らは各自原告芳子に対して金七四三万六八三二円及びこれに対する昭和四三年一二月一三日より右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告芳子のその余の請求を棄却する。

第二(第一八六号事件について)

被告らは各自原告組合に対し金二一七万一一七二円及び内金九一万一三九〇円に対する被告篤子に対しては昭和四八年八月二六日より、他の被告らに対しては同月二八日より、内金一二五万九七八二円に対する昭和四九年一一月一六日より、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第三(両事件の訴訟費用)

原告芳子と被告らとの間においては、これを四分し、その一を被告らの、その余は原告芳子の負担とし、原告組合と被告らとの間においては、全部被告らの負担とする。

第四(仮執行及び仮執行免脱の宣言)

一  この裁判は、右第一項の一について原告芳子は金一五〇万円を、右第二項について被告組合は金五〇万円を、夫々担保に供するときは、仮に夫々執行することができる。

二  但し、被告らにおいて金一五〇万円を担保に供するときは、右第二項についての仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の申立

一  第八〇号事件について

(原告芳子)

被告らは各自原告芳子に対し金三二五一万七五九四円及び内金一九五八万四六四六円に対する昭和四三年一二月一日以降、内金七〇七万八四七三円に対する昭和四八年一二月一三日以降、内金五八五万四四七五円に対する昭和四九年一一月一六日以降右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

(被告ら)

原告芳子の請求を棄却する。

訴訟費用は原告芳子の負担とする。

二  第一八六号事件について

(原告組合)

主文第二項と同旨並びに訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

(被告ら)

原告組合の請求を棄却する。

訴訟費用は原告組合の負担とする。

との判決並びに仮執行免脱の宣言を求める。

第二原告芳子の請求原因

一  原告芳子は左記の交通事故により、左記の傷害を蒙つた。

(一)  本件事故の表示

事故発生時 昭和四三年一二月一三日

事故発生地 神奈川県足柄上郡松田町惣領三三四番地先路上

事故車 普通貨物自動車 相模四う八六二三

本件事故車の所有者 被告小田原製パン有限会社(以下、被告会社という)

本件事故車の運転者 被告椎野篤子(旧姓湯川、以下被告篤子という)

事故の内容 被告篤子は本件事故車を運転中、事故発生地において原告に衝突したものである。

(一)  原告芳子の傷害の程度

(1) 頭部打撲、脳挫傷・右側頭部挫創により、本件交通事故発生時から昭和四四年一月三一日まで神奈川県立足柄上病院に入院し、引続き右同日から昭和四五年四月一四日まで東京警察病院に入院し、さらに右同日から昭和四九年一〇月三〇日現在に至るもなお厚生年金湯河原整形外科病院(以下厚生年金病院という)に入院加療中であり、事故発生時から二年二ケ月以上も経過した昭和四六年二月一九日の右病院の診断によれば、頭部外傷の後遺症により「自力で体位変換不可能・自力で食事をとることが不可能・中枢性失語症・粥食程度ならば摂取可能・直腸膀胱障害・精神症状(記憶・判断・思考力)はある程度残る」等の症状で、労働者災害補償保険法による等級第一級に該当する後遺症である。

(2) 原告芳子は前記後遺症殊に膀胱障害等により、毎月数回高熱を発し、このため数時間に亘り医師の臨床的治療と高度の看護を要する状態にある。さらに原告芳子は右のような発熱状態下においては経口食料を受けつけないことが多く、点滴により辛うじて栄養補給を行うことすらある。従つて、症状固定とはいつても右のような重い症状の場合には、前述の様な治療及び看護を必要とする。

(3) これに対し、被告らは、昭和四五年一二月頃厚生年金病院の浜田医師が自宅療養を肯認したと主張して、治療費の支払いを拒絶した。

二  帰責事由

被告らは、次の事由により本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

(一)  被告篤子の帰責事由

(1) 徐行義務違反

本件事故発生地は、新松田駅方面から小田原方面へ通ずる道路(以下甲道路という)と大井町方面から本件事故発生地に通じ、同所で甲道路と交差する道路(以下乙道路という)とからなる、交通整理の行なわれていない三叉路交差点である。

被告篤子は本件事故車を運転し、甲道路を小田原方面へ向けて進行中、本件交差点に入ろうとしたのあるが、甲道路は右交差点の手前で左側に大きくカーブしており、且つ左側手前にあるブロツク塀のため、乙道路に対する見通しが悪く、右交差点付近における歩行者の横断状況、右左折車両の存在等の動静を確認するには、交差点の直前に来なければ出来ない状況にあり、しかも甲道路の幅員は約六米であるのに比し、乙道路の幅員は約四・一米(但し、甲道路と交差する部分では約一五米)であつて、甲道路の方が乙道路より明らかに幅員が広い道路とはいえないのであるから、被告篤子には法律上徐行義務があり(道交法四二条)、本件交差点付近の前記状況からすれば、運転者として交通事故を未然に防止するため、徐行することにより交差点付近の動静に何時でも対処できる状態にあるべき注意義務があるので、これを怠り徐行しなかつた過失がある。(乙道路から甲道路へ進入する車両や歩行者の数は、通常の場合でも多く、被告篤子は毎日本件事故現場を走行して、このことを知悉していたはずである。)

また、甲道路と乙道路との幅員の差は、右のとおりであるところから、甲道路を小田原方面へ向けて進行中の者には、甲道路より乙道路の方が幅員が明らかに広いと認識されたはずであり、被告篤子には、この点から(道交法三六条)も徐行義務があつたというべきである。

(2) スピード違反

しかるに、被告篤子は徐行するどころか、時速九七キロ以上の速度で本件交差点に進入したことが、本件事故の唯一の原因である。

即ち、被告篤子運転にかゝる本件事故車の急ブレーキを使用してから停止するまでの距離(制動距離)は二五・三米である。本件事故車の時速五〇キロ時における制動距離は、該車両の諸元表によると一三米である。(こゝに制動距離とは、自動車の進路上に危険が出現してブレーキが操作されて停車するまでの前進距離である。)

本件事故車の速度は、右諸元表の時速五〇キロ時の制動距離一三米をもとに比例計算をすることにより算出すると、時速約九七キロ以上となる。この点につき比例計算によらず制動距離表によつても、被告篤子の速度は時速七〇キロを下らない。

(3) 警笛不吹鳴、ハンドル操作不適切の過失

原告芳子は、本件事故地点では既に甲道路の横断を開始し、甲道路(幅員六米)の中央部に来ていたが、被告篤子は原告芳子の右後方から激突し、衝突地点(×印)は甲道路の中央部である。被告篤子の車両は甲道路の左側区分帯を走行して来たのであるから、必然的に加害車両の右前部が原告芳子の右後方から衝突することになる。この点は加害車両の右前部ライト部分が破損していること及び原告芳子が衝突の衝撃により×印点から加害車両の進行方向右斜前方五・四五米の<転>点にはね飛ばされていることから力学的にも明白である。従つて、衝突地点(×印点)から被告篤子の進行方向左側には、乙道路の甲道路に対する交差面積が広く空いており、被告篤子が警笛を吹鳴し、且つ左方向にハンドルを切れば、容易に衝突を回避し得たはずであるから、この点に被告篤子の運転上の過失があつた。

(4) 原告芳子の無過失。

原告芳子は本件事故当日、松田町惣領一二三番地所在の自宅を松田駅付近所在の編物教室に行くため自転車で出発した。

原告芳子は極めて慎重な性格の持ち主であつたゝめ、右編物教室に行くための道順としては、本件事故当日の道順、即ち別紙図面(一)の<1>記載の道順と、同図面<2>記載の道順とがあり、<2>の方が距離的・時間的に便利であるが、<2>の道順では甲道路との交差点の見通しが悪く、危険を伴うので、原告芳子は日頃から<1>の道順を選択していた。そして自転車で走行する場合、道路のほゞ左側端を走行し、本件交差点では必ず自転車を降りて一時停止し、左右の安全を確認のうえ自転車を引いて交差点を右折していたもので、自転車の運転走行にあつても慎重であつた。

従つて原告芳子が本件事故当日も、本件交差点直前で自転車を降りて一時停止し、右折するに先立つて左右を確認し、自転車を引いて本件交差点を横断し右折しようとしたことは、容易に推認できる。

原告芳子は別紙図面(二)点付近から点付近に進行し、点付近において一時停止して右左の安全を確認し、点付近から約二・五五米進行した×点付近で本件事故車に衝突されたものである。原告芳子が点付近で右側新松田駅方向の安全を確認した時の本件事故車の走行位置は、逆算により次のとおり算出される。

即ち、衝突地点<×>点から点までは約二・五五米であり、これを右原告は自転車を引いて歩いたので、その速度は時速的六キロ(秒速一・六六米)位であるから、約一・五秒を要し、さらに地点において左右の安全を確認するのに約二秒を要するので、右原告が地点で右側新松田駅方向の安全を確認したのは、衝突から約三・五秒前となる。

他方、衝突から三・五秒前における本件事故車の走行位置は<×>点から新松田駅方向に約九四・二米先の地点となる(本件事故車の速度は、前述のように時速約九七キロ、秒速約二六・九四米であるから)

(26.94×3.5=94.290)。

仮に時速七〇キロ(秒速一九・四四米)としても、衝突前三・五秒の事故車の位置は<×>点から六八・〇五米(19.44×35)となる。従つて、点から右側新松田駅方向をのぞむと、道路は右側に曲折しているので、約九四・二米先の地点を走行している車両は勿論のこと、六八・〇五米地点の車両も視界に入らない。

そうすると、原告芳子は点付近で右側新松田駅方向の安全を確認したものゝ、未だ本件事故車は発見確認できなかつたはずであるから、原告芳子には被告ら主張のような過失はない。

(5) 仮に、本件事故状況が被告篤子の説明どおりとしても、同被告には動静不注視等の過失がある。

即ち、本件事故状況が被告篤子の指示する別紙図面(二)のとおりであり、当時の本件事故車の速度が時速約四五キロとすれば、同被告は本件衝突地点より約二三・六米手前の地点で、自車の進路上に時速約一七キロの自転車としてはかなりの高速度で、進行中の原告芳子を認めたのであるから、同図面<一>点から<二>点間の一二・八米を被告篤子が時速約四五キロで走行したとすると、その所要時間は約一秒間であり、この一秒間に同原告は点から点間の四・七米を走行したことになるので、時速に換算すると原告芳子は時速約一七キロで走行中であつたことゝなる)、このような場合、被告篤子としては警笛を吹鳴して、原告芳子に自車の接近を警告するとゝもに、制動措置を講じて同原告の動静を注視するなどして、本件事故の発生を回避すべき義務があつたのに、これらの義務を尽さなかつた過失がある。

(二)  被告会社の帰責事由

被告会社は、パン類の製造並びに卸売小売業を目的とする有限会社であるところ、本件事故発生当日はパンの配達の業務のために、被告会社保有の本件事故車を被告会社の従業員被告篤子に運転させ、よつて本件事故を発生させたものであるから、自動車損害賠償保障法三条及び民法七一五条による賠償義務がある。

(三)  被告湯川光雄(以下、被告光雄という)の帰責事由

被告会社は資本金二〇〇万円、取締役一名の有限会社ということになつているものゝ、従業員は家族中心であり、実質は被告光雄の個人会社であつて、被告光雄は代表者取締役として被告篤子(被告篤子は被告光雄の次女である)の選任・監督の権限を有しており、民法七一五条二項により賠償義務がある。

三  原告芳子の損害

(一)  入院治療費 金六八七万〇三五八円

右は昭和四六年一月一日以降同年三月二〇日まで(金三八万〇一八〇円)と同年三月二一日以降昭和四八年三月三一日まで(金三七九万四八二四円)と同年四月一日以降昭和四九年一〇月三一日まで(金二七九万五三五四円)の厚生年金病院の入院治療費の合計金六九七万〇三五八円から、被告らが既に支払つた金一〇万円を差引いた残額である。

(二)  付添人費用 金二六三万四三五七円

右は昭和四六年一月一日以降同年三月二〇日まで(金二六万四六六八円)と同年三月二一日以降昭和四八年三月二〇日まで(金一九六万一一七九円)と同年三月二一日以降同年六月三〇日まで(金四〇万八五一〇円)の厚生年金病院に入院治療を受けた期間の付添人費用である。

(三)  中村シゲ子、中村茂一、清水サチ子、米山シメオ等の付添費金三七三万五二〇〇円

原告芳子は事故発生時以降現在まで前記の各病院において入院加療中であるところ、何事も自分で行うことができないので、医師の指示により、原告芳子の親戚である清水サチ子、同米山シメオが交代で、昭和四三年一二月一三日以降昭和四四年二月二八日までの間、さらに右原告の母親が昭和四三年一二月一三日以降昭和四六年三月三一日までの間、それぞれ付添看護をなした。職業的付添人の右期間の賃金が一日金三一四六円であること、同人らが原告の親戚又は母親であることを考慮すれば、原告は右同人らに対し右付添看護を受けたことにより、一日少なくとも金一六〇〇円、右期間中延日数合計八九二日間で合計金一四二万七二〇〇円の支払義務を負い、従つて原告芳子は右金額の損害を蒙つた。

これに加え、原告芳子は、昭和四六年四月一日以降昭和四八年三月三一日までの間、平日は母親中村シゲ子の、又土・日曜日は父親中村茂一のそれぞれ付添看護を受けた。この間における職業的付添人の賃金が平均一ケ月約金一〇万円であること、同人らが原告の両親であることを考慮すれば、原告は右同人らに対し右付添看護を受けたことにより一ケ月少なくとも金五万円、右期間二三ケ月で合計一一五万円の支払義務を負う。従つて原告芳子は、右金額の損害を蒙つた。

さらに原告芳子は、昭和四八年四月一日以降昭和四九年一〇月三一日までの間延五七九日間、母親中村シゲ子もしくは父親中村茂一の付添看護を受けた。この期間における職業的付添人の賃金が一日金四〇〇〇円余であること、看護した者が原告の両親であることを考慮すれば、原告芳子は右同人らに対し右付添看護を受けたことにより一日少なくとも金二〇〇〇円、右期間五七九日間で合計金一一五万八〇〇〇円の支払義務を負い、従つて原告芳子は、右金額の損害を蒙つた。

(四)  諸雑費 金五三五万二六七九円

右は昭和四三年一二月一三日以降昭和四五年一二月末日まで金一七九万一六七一円、昭和四六年一月一日以降昭和四八年三月末日まで金二〇八万二〇四七円並びに同年四月一日以降昭和四九年一〇月三〇日まで金一四七万八九六一円の夫々栄養補給費、交通費、通信費、医師、看護婦、付添婦に対する謝礼、おむつ代等に要した諸雑費の合計金額である。

(五)  得べかりし利益 金七八二万〇九二七円

原告芳子は事故当時二三才の健康な女性であり、第一一回平均余命表によれば、その平均余命は五二・六五才である。しかして同原告は、本件事故により前記のような後遺症が存続するので、生涯労働することは不可能であるところ、本件事故に遇わなければ、二三才から五三才まで稼動することができ、その間女子としての平均賃金を得ることができたはずである。

ところで、第二〇回日本統計年鑑による一般女子労働者の平均賃金は、一ケ月金二万五八〇〇円であるから、ホフマン式計算法により二三才から五三才までの現在価額を算定すると、

25,800×12×25.2614=7,820,929

(但し25.2614は法定利率による単利年金現価総額表による)

金七八二万〇九二七円となる。

(六)  慰謝料 金七〇〇万円

原告芳子は本件事故による受傷のため、事故発生から五年以上経過した現在もなお入院加療中であり、将来に亘り労働者災害保償保険法による第一級に該当する後遺症が存続し、その精神的肉体的苦痛は筆舌に尽し難く、さらには原告芳子の家庭は、同原告の受傷によりまつたく破壊され、特に父中村茂一、母中村シゲ子の精神的苦痛もはかり知れない。よつて原告芳子及びその家族(家団)の現在及び将来の損害を金銭に見積るならば、金七〇〇万円を下廻ることはない。

(七)  電気代 金五万四二二五円

右は昭和四五年一〇月一日以降昭和四九年九月三〇日までの間、厚生年金病院に入院加療中同病院に支払つた電気代である。

(八)  布団代 金四万五九四八円

右は昭和四五年一〇月一日以降昭和四八年五月三一日までの間、右病院に入院加療中同病院に支払つた布団代である。

(九)  アンテナ使用料 金三九〇〇円

右は昭和四八年九月一日以降昭和四九年九月三〇日までの間、右病院に入院加療中同病院に支払つたアンテナ使用料である。

(一〇)  弁護士費用 金二〇〇万円

以上のとおり、被告らは原告芳子に対し本件事故に基づく損害賠償義務を負つているところ、被告らはこれを任意に履行しないので、原告芳子はこの請求のために、弁護士花岡隆治らに対し訴訟提起を委任し、報酬として金二〇〇万円の支払を約束したので、右金額の損害を受けたことになる。

四  同原告は、昭和四六年五月頃自動車強制保険から金三〇〇万円を受領し、損害賠償請求金額金三五五一万七五九四円の内金に充当したので、残額は金三二五一万七五九四円となつた。

五  よつて、原告芳子は被告らに対し金三二五一万七五九四円及び内金一九五八万四六四六円に対する本件事故の翌日である昭和四三年一二月一四日以降、内金七〇七万八四七三円に対する支払期日の後であつて、被告らに請求した日の翌日である昭和四八年一二月一三日以降、内金五八五万四四七五円に対する支払期日の後であつて被告らに請求した日の翌日である昭和四九年一一月一六日以降、右各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三原告組合の請求原因

一  原告組合は健康保険法に基づき設立された組合である。訴外中村茂一は、原告組合の組合員であつて被保険者であり、又原告芳子は右被保険者の被扶養者である。

二  原告芳子は本件交通事故により蒙つた傷害治療のため、昭和四六年二月一日より昭和四九年一一月一五日現在もなお厚生年金病院で診療を受けている。

三  被告らは、それぞれ前記のとおり原告芳子に対し本件交通事故によつて同原告が蒙つた損害を賠償する責任がある。

四  原告組合は、原告芳子が原告組合の組合員中村茂一の被扶養者であるため、健康保険法第五九条の二に基づき別表A・Bの(一)療養費の欄記載の各療養に要した費用の一〇〇分の五〇(但し、昭和四八年一〇月分以降は療養費の一〇〇分の七〇に、患者負担が三万円を超えるときは、その部分を加算することに改訂)に相当する別表A・Bの(二)家族療養費欄記載のとおりの金員(合計金二一七万一一七二円)を保険医療機関である右病院に支給した。

五  原告組合は健康保険法六七条・六九条ノ二に基づき被扶養者である原告芳子が被告らに対して有する損害賠償請求権を取得した。

六  よつて原告組合は、各自被告らに対し損害賠償請求権に基づき合計金二一七万一一七二円及び内金九一万一三九〇円に対する訴状送達の日の翌日たる被告篤子については昭和四八年八月二六日から、その他の被告らについては同月二八日から、内金一二五万九七八二円に対する昭和四九年一一月一六日(右内金を被告らに請求した日の翌日)から夫々右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四被告らの原告芳子に対する答弁

1  原告芳子の請求原因に対する認否。

一  同一項について、

(一)記載の事実は認める。

(二)の(1)記載の事実中、原告が本件事故発生時から昭和四四年一月三一日まで神奈川県立足柄上病院に入院し、引続き右同日から昭和四五年四月一四日まで東京警察病院に入院、さらに右同日から昭和四九年一〇月三〇日現在まで厚生年金病院に入院していること及び右病院の医師浜田昇次の作成の昭和四六年二月一九日付の診断書に原告主張のような内容の診断結果が記載されていることはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

(二)の(2)記載の事実は不知。

(二)の(3)記載の事実は否認する。但し、昭和四五年一二月頃右浜田医師が自宅療養を肯認したのは事実である。

二  同二項について、

(一)の(1)の事実は否認する。

本件事故の現場は、交通整理の行われていない交差点内であり現場の形状は、新松田駅方面から小田原方面に通ずる道路(甲道路)と大井町方面から本件交差点で甲道路につながる道路(乙道路)の交わる三叉路交差点であることは認める。

被告篤子の進行道路は甲道路であり、これが直進道路であること、原告芳子の進行道路が乙道路であり、これが甲道路に斜めに交差し、原告芳子は本件交差点では必ず、右折又は左折すべき立場にあつたものである。そして、同原告は本件交差点に至る手前五米位の地点で、右方約二七・七米先の甲道路を本件交差点に向い進行してくる被告車を発見したのに、同車の前を横切つて右折し得るものと軽信した。ところで、原告芳子が右折せんとした甲道路は、乙道路と鈍角に交差していたのであるから、原告芳子はゆるいカーブで被告篤子の進路前面を横切ることになる。

このような場合は、道交法三七条一項の直進車両優先の原則に則り、原告芳子は被告車の位置や速度について的確な判断をして、衝突の危険のないことを確認した後に右折すべきであつた。しかも事故当時にも、原告芳子の進路の道路わきに「とび出すな車は急に止れない」との看板が立てられ、一時停止と右方向の車両に対する安全の確認を促していたし、事故後にはここに一時停止の標識が立てられるようになつた。つまり、本件現場の交差点では、むしろ原告芳子の方で一時停止し、被告車の通過を待つた上で右折すべき義務があつたものである。そして本件交差点は、直進道路(甲道路)の自動車の通行量が多いことから、被告篤子が原告芳子の方で一時停止してくれると信じたことは当然であり、被告篤子は原告芳子が自車に進路を譲つてくれることを期待して直進することが許されていたということができる。

そして本件現場付近では、甲道路の幅員は六・一米で、乙道路の幅員が四・三米であり、甲道路の方が交通量も多いのであるから被告篤子の進行した甲道路の方が明らかに広い道路ということになる。

以上、本件交差点における優先通行権は、被告篤子にあつたのであり、本件事故は被告篤子の除行義務違反に基づくのではなく、かえつて、原告芳子の一時停止義務、右折の際の左右安全確認義務違反に基づくものというべきである。

(一)の(2)の事実は否認する。

本件事故当時の事故車の速度は、時速約四五キロであつた。

別紙図面(二)の<二>点は、危険を感じブレーキをかけようとした地点であり、この地点からブレーキペタルを踏み、ブレーキがきき始めるまでには、空走距離及び滑走距離があるところ<二>点から停止地点である<停>点までの距離は、狭義の制動距離に空走距離及び滑走距離を加えたものである。そして、空走時間は一般人で平均〇・八秒位、滑走時間は〇・一ないし〇・三秒であること、本件事故現場は乾燥したアスフアルト道路であるから、摩擦係数が〇・五五であるので、これを前提とすると、被告ら主張の時速四五キロの場合の狭義の制動距離は一四・二二米、空走距離は一〇米、滑走距離は一・二五ないし三・七五米であることになる。広義の制動距離はこれらの距離を合算したものであるから、二五・四七ないし二七・九七米である。

この数字は、<二>点から<停>点までの距離二五・三米とおおむね一致する。

次に、現場見取図に記載されている、スリツプ痕から本件自動車の時速を推測すると、スリツプ痕は八・八五米及び九・八五米であり、事故現場が乾燥したアスフアルト道路であつたことから、時速四三キロないし四六キロであると推測される。

以上のとおりであつて、被告らの主張する時速四五キロという数字は合理性を持つものであることは明らかである。

(一)の(3)の事実は否認する。

(一)の(4)、(5)の事実は否認する。

本件事故は、原告芳子が別紙図面(二)の点で右方約二七・七米の<一>点(交差点の手前一二・八米)の甲道路を事故車が本件交差点に向つて進行して来るのを発見しながら(点から<一>点が見通すことができる。)同車の前方を横切つて右折しうるものと軽信して、事故車の前方を横切ろうとしたことに基づくものである。そうでないとすれば、本件交差点で一時停止も左右の安全確認もしなかつたゝめ(そのような義務が原告芳子にあつたことは前述のとおり)、被告車に気付くことなく本件交差点上にとび出したことに基因したものであつて、原告芳子に重大な過失があつた。

仮に、被告篤子にも過失があつたとしても、原告芳子に前記のような重大な過失があつた以上、過失の割合は原告芳子七に対し、被告篤子が三であつたと見るべきであるから、その割合で過失相殺がなされるべきである。このことは、本件が相当重大な人身事故でありながら、被告篤子が本件の刑事事件では略式命令で済んでいることからも推認される。

(二)の事実は認める。

(三)の事実は否認する。

被告会社には、本件事故当時一九人の従業員がおり、被告光雄は、工場の運営を工場長の渡辺民雄に、会社の営業を近藤武彦に、又松田の販売店を臼井香魚子に、経理を湯川真希子に夫々任せており、自らは当時相当数の公職についていたため、日常の業務は殆んど右の各責任者に任せるという体制にあつた。

なお、法人の代表者に対して、民法七一五条二項の代理監督者責任を問うためには、その代表者が具体的、現実的に被用者を指揮監督していたことを要するところ、本件では被告篤子の本件自動車の運転について具体的に指揮監督していたのは、被告光雄ではなく、被告篤子の上司であつた被告会社の営業担当(車両管理兼任)の近藤武彦であつた。従つて、被告光雄に対する原告の請求は失当である。

三  同三項について

(一)の事実中、被告らが金一〇万円を原告芳子に支払つたことは認めるが、その余の事実は不知。

(二)の事実は不知。

(三)の事実は不知。仮にそのような事実があつたとしても、昭和四六年一月一日から同年三月二〇日まで及び同年三月二一日から昭和四八年三月三〇日までは、原告芳子の主張によると職業的付添人を付しているのにその上に中村シゲ子や中村茂一の付添いの費用を求めているが、この点は必要性がないから、この部分の原告の請求は失当である。

又、各裁判例に照しても、家族の付添費用としては、一日金一〇〇〇円から金一二〇〇円が相当である。

(四)の事実は不知。

仮に、原告芳子の主張事実が認められるとしても、各地の裁判例に照し一日金二〇〇円ないし三〇〇円が相当である。従つて、原告の主張する金三八七万三七一八円の諸雑費は著しく過大であるばかりか、不相当な費用を多数計上している。

(五)の事実は争う。

(六)の事実は争う。なお慰藉料としては、入院に対する慰藉料が金一二〇万円、後遺症に対する慰藉料が金三〇〇万円とするのが各地の裁判例による最大額である。

又、原告芳子は、その家族の精神的苦痛に言及するが、それらの者は本訴の当事者でもないのであるから、原告芳子の慰藉料の算定に当り考慮されるべきでない。

(七)(八)(九)の事実は不知。

四  同四項について、

原告芳子が強制保険から金三〇〇万円を受領した事実は認めるが、その余は否認する。

五  同五項は争う。

2  被告らの主張

一  治療費等の支払い。

被告らは、左記のとおり原告芳子の負傷の治療費等を支払つた。

(一) 県立足柄上病院に対する昭和四三年一二月一三日から昭和四四年一月三一日までの入院治療費として金四七万七一七四円。

(二) 東京警察病院に対する昭和四四年二月一日から昭和四五年六月三〇日までの入院治療費として金三〇二万七一三八円。

(三) 厚生年金病院に対する昭和四五年七月一日から同年一二月末日までの入院治療費金一二八万九四五四円。

(四) 付添看護料については、被告らは右入院中の原告芳子に対する付添看護料として、昭和四四年二月二八日分から昭和四五年一二月三一日分まで合計金一八二万八八九六円を支払つた。

(五) 右入院中の室電気料、布団代として、厚生年金病院に合計金一万三〇二四円を支払つた。

(六) 以上被告らの原告芳子に対し支払つた費用は、昭和四六年二月二二日原告に対し治療費として支払つた金一〇万円を含め、合計金六六三万五六七六円であり、この他強制保険から金三〇〇万円が原告に支払われている。

二  被告らが治療費を打切つた事情

被告らは原告芳子の入院治療費として昭和四三年一二月一三日から同四五年一二月三一日までの分の支払いを完了したのである。ところが被告光雄は、昭和四五年九月頃厚生年金病院の院長から、そろそろ自宅療養による治療に切りかえて通院応診を二週間に一度位すればよいとの話を受けたので、その旨を同年一二月二二日原告芳子の父親らに話してそのようにして欲しいと申入れたが、同人らは真剣に右申入れに対処しようとしなかつた。

右のように既に原告芳子は、入院してまで治療する必要がなくなつたものであるから、入院治療費は損害とはいえない。

三  弁護士の費用について

原告芳子側と被告らとの間では、本件事故に関する話合は殆んどなされておらず、被告らとして警察、検察庁の公平な判断と医師の正確な診断を基礎とした冷静な話合をなすべく用意していたのに、右原告らは一向に話合の姿勢を見せず、一方的に昭和四六年三月八日仮差押をなし、次いで本件訴を提起するに至つたもので、本件紛争は被告らが任意に履行をしなかつたためとはいえないので、弁護士費用を負担せしめるのは不当である。

第五被告らの原告組合の請求原因に対する答弁

右請求原因一、二項記載の事実は不知。

同三項記載の事実は否認する。

同四項記載の事実は不知。

第六原告芳子の、被告らの抗弁に対する主張

被告ら主張のとおり、被告らが原告芳子に対して治療費付添婦その他として合計金金六六三万五六七六円を支払つたこと及び原告芳子が強制保険金三〇〇万円を受領したことは認める。

第七証拠〔略〕

理由

第一帰責原因について、

一  被告篤子の過失及び原告芳子の過失の存否並びに過失相殺について、

(1)  原告芳子主張の請求原因一項(一)の事実及び本件事故発生地が、新松田駅方面から小田原方面へ通ずる甲道路と大井町方面から本件事故発生地に通じ、同所で甲道路と交差する乙道路とからなる交通整理の行われていない三叉路交差点であることは、当事者間に争いのないところである。

(2)  〔証拠略〕によれば、甲道路の幅員は六米で、新松田駅方面から乙道路への見通しは、別紙図面(二)のとおり左側部分に高さ一・六五米のブロツク塀があるため困難であり、乙道路は幅員四・一米であること、本件交差点附近の路面はアスフアルト舗装の平担で、本件事故当時乾燥していたこと、本件事故直後右道路には、右図面のとおりスリツプ痕が九・八五米と八・八五米の二本があり、×印の衝突地点附近には、これを中心とする約三米に亘るガラス破片の散乱と、その他の散乱物が<散>1ないし3、5のように夫々散らばつており、<転>点には手の掌大の血痕があつたこと、被告篤子の自動車には前部ナンバープレイト及びボンネツトの凹損、バンパー中央部に赤色塗料付着、前面ガラス右前照灯破損、ライトグリル凹損が夫々認められること、原告芳子の自転車は赤色塗料で、ギヤークランクケースがもぎとれ、荷掛カゴが外れ、上下パイプが凹損していることが、夫々認定できる。

〔証拠略〕によれば、本件交差点において、衝突の瞬間原告芳子の身体と自転車が自動車の屋根の高さより高くはね上がり、一度ボンネツトの上に乗り上げ、車はさらに止まらずに走り、間もなく芳子の身体は頭の方を下に道路の端の方にころがつて落ちたことが認定できる。

(3)  そこで、前記交差点における被告篤子の自動車のスリツプ痕と、本件道路の前記認定の状態をもとにして自動車の速度を考えて見るに、初速(時速)をVo、スリツプ痕をS、路面とタイヤの摩擦係数をUとした場合、一般的にの式で現わされ、右Uの値えは乾いたアスフアルトで摩擦係数〇・七五とされている(科学警察研究所報、交通篇一巻一号)。(アクセルから足を離してブレーキを踏むまでの間に、エンジンブレーキによる減速があるけれども、その間の減速は、右の資料によると時速〇・四ないし〇・五キロにすぎないので、この点はさ程考慮する必要はないと考える。)そこで本件では、右側のスリツプ痕が九・八五米、左側が八・八五米と異つており、また、車はスリツプ痕の終つた地点からさらに七・七米走つて止つている点に不確定の要素が存する。

ところで、スリツプ痕はブレーキを踏んでも路面とタイヤとが一定摩擦の限界点を超えない限りつかないけれども、スリツプ痕がつかないからといつて直ちにブレーキ効果が全くないものと考えることはできないのであつて、スリツプ痕ができない場合であつても、ブレーキの踏み方如何によつては相当の減速効果を有することはいうまでもない。右の事を考慮に入れて考えると、本件のような場合、その初速の割出に当つては、スリツプ痕のついている範囲でブレーキ効果があつた場合と、スリツプ痕の始まつたところから車が停止した位置までの間すべてスリツプ痕がついたと仮定した場合とから算出した速度の範囲内にあるものということができる。

そこでスリツプ痕の長さのみと、スリツプ痕に前記七・七米を加えて、これをすべてスリツプ痕がついた場合と仮定して、二通りの試算をしてみる。

前記資料に基づくと、四輪車の場合、各車輪のスリツプ痕の長さの平均値(即ち四本の総和を車輪数四で割つた値え)を基準にすべきところ、前輪と後輪のスリツプ痕は、〔証拠略〕によると全く重なつて識別できない。そこで一応前後輪が同時にロツクされ、前輪と後輪の各スリツプ痕が重なつてついているものと考えた場合、前後輪のスリツプ痕の長さはいずれもホイールベースの長さを差引いたものとなる。

そこで、〔証拠略〕によれば、加害車のホイールベースは二・四米であるから、これを夫々差引いて平均すると六・九五米となる。そしてさらに、これと前述の七・七米を足した一四・六五米との二種類の数値を基にして、前記の数式に当てはめて計算すると、前者は時速三六・三キロ、後者は五二・七キロとなる。そうすると被告車の速度は右の範囲内にあつたものということができるところ、これの平均値は時速四四・五キロとなる。

(4)  右認定の事実及び〔証拠略〕によれば、被告篤子が甲道路を時速約四五キロ位で本件交差点の手前一二ないし一三米北の<一>点に差しかかつた時、その進行方向から見て左方の乙道路から自転車に乗つてくる原告芳子を点附近に発見したが、原告篤子としては、自分の方が直進で、相手方は本件交差点が三叉路のため横断せずに直ちに左か右に曲るか、或は横断するとすれば一時停止してくれるものと安易に考え、危険を感ぜずそのまゝ交差点を通過しようとしたところ、<二>点に来たとき、原告芳子は停止せずにそのまゝ交差点に入つて来たので、驚いて急ブレーキをかけたが、問に合わず衝突したこと、その衝突の直前に被告篤子は目をつぶつてしまい、車は衝突直後バウンドしてブレーキから足が一寸浮いたような感じがして、車は少しダラダラと走つて止つたこと(このことから、ブレーキは踏んだが、足が一寸浮いたので摩擦限界点に達しなかつたためにスリツプ痕はつかなかつたが、ブレーキ効果は或る程度あつたことが推認される)が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。〔証拠略〕は、いずれも推測を述べたに過ぎないから、必ずしも右認定に反するものとはなし難い。

(5)  そこで以上の事実に基づいて考えると、

被告篤子は、本件交差点が見通しのきかない場所であるから、徐行して危険を未然に防止すべき注意義務(道路交通法四二条)があるのに、これを怠り、さらに原告芳子が自転車に乗つて来るのを認めた際にも、警笛の吹鳴をなすことなく、たゞ漫然と同一速度で進行し、原告の動静に注意を払わなかつた結果、本件事故を起したものである。従つて被告篤子の側に責任が存するものというべきである。

次に、原告芳子の側の過失の点について見るに、

前記認定の、甲道路の幅員が六米、乙道路の幅員が四・一米であること、道路の交差状況その他を勘案すれば、甲道路の方が乙道路より明らかに広いものということができるし、なお甲乙道路は三叉路であるから、乙道路から甲道路に出る場合は、右折か左折しかしないのであつて、右交差点に入るに際し必ず徐行し、交差点の状況に応じて通行する車両に注意し、できる限り安全な速度と方法で進行すべき義務(同法三六条二項、三項)と直進車両の進路を妨害しないようになすべき義務(同法三七条)があるのみならず、本件事故当時においても、乙道路から交差点に入るすぐ左側道路わきに「とび出すな車は急に止まれない。」との注意喚起の大きな看板が立ててあつたことは、〔証拠略〕によつて明白であるから、この交差点を渡るについてはよく注意すべきことは十分認識しえたはずであるのに、原告芳子は自転車に乗車したまゝこれを渡ろうとし、自動車の進路前方に急に飛び出したことになるわけであるから、原告芳子の側においても過失があつたものというべきである。

そこで、右のようなすべての事情を勘案した結果、被告篤子の過失割合は七、原告芳子の過失割合は三と考えるのが相当と思慮する。

二  そして、原告芳子の請求原因二の(二)の事実は、当事者間に争いのないところであるから、右加害車の保有者である被告会社は、自賠法三条に基づいて責任を負担すべきところ、前記認定のとおり原告芳子においても前記のような過失があるので、被告篤子と同等の責任を当然負担すべきである。

三  次に被告光雄に対する帰責について、

〔証拠略〕によれば、被告会社は資本金二〇〇万円の有限会社で、当時の従業員は被告光雄を含めて約二〇名程度にすぎず、その内七名位は被告光雄の身内であること、同社には本件事故車を含めて五台を保有していたことが認められる。

そうだとすると、被告会社のような小人数の会社では、代表者が直接実質的な監督をなしえないような大規模な会社と異り、特段の事情のない限り、その代表者である被告光雄は、使用者たる会社に代つて社員の選任監督について責任を負担すべきものである。まして、運転者被告篤子は被告光雄の娘であるから、なおさらである。なお、前掲の証拠によると、工場長、車両兼任等の役職のおかれていることは認められないわけではないが、しかしそのことから直ちに被告光雄の免責を認めることはできず、この点に関する被告湯川光雄の尋問の結果は措信できず、その他その免責を認めうる具体的事実についての証拠はない。

第二原告芳子の傷害の程度について、

〔証拠略〕によれば、原告芳子は本件事故によつて頭部打撲、脳挫傷、右側頭部挫傷等の傷害を受けたこと、(右原告が事故発生時から昭和四四年一月三一日まで神奈川県立足柄上病院に入院し、引続き同日より昭和四五年四月一四日まで東京警察病院に入院し、さらに同日より昭和四九年一〇月三〇日現在まで厚生年金病院に入院加療していること、昭和四六年二月一九日、当時の右厚生年金病院の診断によれば、原告芳子は頭部外傷により自力による体位変換、食事摂取不可能、中枢性失語症、粥食程度の食事摂取可能、直腸膀胱障害、精神症状は或る程度は残るとのこと、労働者災害補償保険法による第一級の後遺症の認定を受けたことについては、いずれも当事者間に争いがない。)

その後右厚生年金病院々長の昭和四九年九月二日付調査報告書によると、同日当時の症状として、精神症状は了解力低下、言語理解、文字理解は或る程度残存しているが、発語は全くなく、右半身痲痺、左半身不全痲痺、両側尖足、直腸膀胱障害、大小便失禁月に〇ないし二回、慢性尿路感染による発熱、日常生活動作は、体位変換不能、食事動作不能、衣類着脱動作不能、排尿排便はおむつ使用等、未だに入院療養を要する状態にあることが認められ、右認定に反する〔証拠略〕は採用し難く、その他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

第三原告芳子の損害について、

一  入院治療費について、

〔証拠略〕によれば、昭和四六年一月一日以降においても、前記のような症状、特に直腸膀胱慢性尿路感染による発熱等の機能障害があり、昭和四九年九月二日現在の症状では回復をはかるため看護婦の管理、医師の定期診療を要し、入院の必要ありとの診断がなされていることが認められる。

従つて、原告芳子の右期日以降の入院治療費用についても本件事故との間に相当因果関係があることは肯認できる。

そこで、〔証拠略〕によれば、厚生年金病院で療養した昭和四六年一月一日から同四九年一〇月三一日までの費用として金六六一万六三五八円を自己負担によつて支払つたことが認められる。右の内金一〇万円を被告らが支払つたことについては当事者間に争いがないので、これを差引くと金六五一万六三五八円となるので、右金額がこの点における原告芳子の損害である。(但し、後記認定のとおり、原告芳子の入院治療費中金二一七万一一七二円について原告組合において支払い済みの分があるので、同原告の全入院治療費は金八六八万七五三〇円である。)

二  付添看護人の費用について、

〔証拠略〕によれば、昭和四六年一月一日より昭和四八年六月三〇日まで原告芳子の看護のために職業的付添人を付けたため、その費用として金二七九万五三五四円を要したこと、事故後から昭和四九年一〇月三一日まで中村シゲ、中村茂一、米山シメヲらが看護のために付添つたことは、肯認しうるところである。

そして本件においては、事故後から昭和四九年一〇月三一日までの症状については、前記認定のとおりであるから、特に医師の指示がなくとも、看護付添いをなす者が必要であると考えられるが、しかし付添人を二人必要であるか否かとの点については、医師が特に二名の付添を必要とする旨指示した場合においてのみこれを認め、それ以外は一名にて足りるものというべきである。そこで、本件では〔証拠略〕によると、東京警察病院入院中(七四日間)は原告芳子が気管の手術をしたため五分置きに沮を除去しなければならなず、又病院に迷惑なくらい昼も夜も大声でわめいたこと、同病院の医師から付添人二名を要する旨の指示があつたことが認められるので、その期間は、職業的付添人と共に近親者の看護の費用を特に損害として認める。(甲第四号証は、右の医師の指示があつたものとは認め難い。)なお職業的看護人が付添わなくなつた後の昭和四八年七月一日から同四九年一〇月三一日まで(四八八日)の近親者の付添については、その費用としては一日金一二〇〇円の範囲でこれを損害として認める。

そうすると、右職業的付添人の費用合計金二六三万四三五七円、近親者の付添費用合計金六七万四四〇〇円を合算すると、金三三〇万八七五七円となる。

三  入院諸雑費について

原告芳子は、昭和四三年一二月一三日から同四九年一〇月三日までの入院中の諸雑費並びに栄養補給費、医師、看護婦、付添人に対する謝礼等を請求している。ところで右諸雑費の中には、入院中の電気代、布団の借り賃、テレビ等のアンテナ使用料が含まれると解するところ、右諸雑費についてはそのすべてを含めて一日金四〇〇円の割合で、本件の損害として相当因果関係を認める。

次に、栄養補給の費用については、特に医師からの指示により治療の一環とする食事療法としてであれば、本来治療費に含めて請求しうるところ、(この点について、右の点の立証はないので採用しない。)右の場合以外は雑費とは認められないので採用しない。

また、医師、看護婦に対する謝礼は、その実質が治療費と同視できるものは損害として考えることも可能であるが、単に儀礼的な贈与に当るようなものは、入院雑費には入らないし、付添人に対する謝礼は、すべて儀礼的贈与に当るものであるから、勿論入院雑費には入らないものと解する。そこで本件の場合実質が特に治療費に該当するとの主張も立証もないのであるから、これを認めることはできない。

そうすると右二一四九日間の雑費の合計は金八五万九六〇〇円となる。

四  得べかりし利益について、

原告芳子は、前記認定のとおり労働者災害補償保険法による等級第一級の後遺症に当る傷害を蒙つたのであるから、恐らく今後一生稼動能力は零に等しいものと認められるところ、〔証拠略〕によれば、原告芳子が本件事故当時二三才の健康な女性であることは明らかで、女子の当時の平均余命は第一一回平均余命年数表によると二三才の場合五〇・五九才であり、賃金センサスによると昭和四三年度の二三才の女子の平均賃金は一ケ月金二万五八〇〇円であることがいずれも肯定である。そこで原告芳子が本件事故に遭遇しなければ、五三才まで稼動することができたものと考えられるので、単利ホフマン式計算方法によつて年五分の法定利率による中間利息を控除して計算すると、金七八二万〇九二九円となる。原告芳子は右収益を得られたはずであるのに、本件事故によつて得られなくなつたのであるから、右金額が損害額となる。

五  そこで、右積極消極の損害を合計すると金二〇六七万六八一六円となるところ、前記認定に従つて過失相殺すると金一四四七万三七七一円となるところ、右の内の原告組合に後記のとおり法律上移転した損害賠償請求金二一七万一一七二円を差引くと、原告芳子の請求しえべき積極消極の損害の額は金一二三〇万二五九九円となる。

六  慰藉料について、

原告芳子が、本件事故により前記のとおりの傷害をうけ、その結果前記のとおりの後遺症状の存すること、従つてその蒙つた精神的苦痛は、まさに死にもまさるものというべきであるが、一方、原告芳子の側においても、前記認定のような過失が存するので、その他諸般の事情を考慮した上、原告が本件傷害を受けて入院治療を受けざるを得なかつた点の精神的損害として金一〇〇万円、その後さらに恐らく一生の間療養せざるを得ない後遺症による精神的損害として金三〇〇万円をいずれも被告らに負担せしめるのを相当とする。

七  従つて、右積極消極の損害並びに精神的損害を合算すると金一六三〇万二五九九円となるところ、被告らが原告芳子に対して治療費、付添費その他の損害賠償として合計金六五三万五七六七円(前記治療費金一〇万円は除く)を支払つたこと、また原告芳子が強制保険金として金三〇〇万円を既に受領していることについては、いずれも当事者間に争いがないところであるから、これを差引くと金六七六万六八三二円となる。

八  弁護士費用について、

以上のとおり原告芳子は被告らに対して右金六七六万六八三二円の損害賠償請求権を有するところ、原告芳子と被告らとの間には、お互にその主張が離れて対立しているので、結局は裁判による判断をまつ以外には道がなく、被告らとしても、裁判によらずしては任意の支払いには応じ難い状態にあることが看取しうる。従つて、原告芳子が自己の権利擁護のためには、本件訴の提起を必要とするところ、その追行を前掲の原告芳子の訴訟代理人たる弁護士らに本訴提起とその追行を委任したことは、弁論の全趣旨により明らかである。そこで、本件の事案の難易、前記の請求認容額、その他本件に現われた諸般の事情を勘案した結果、原告芳子請求の弁護士費用の内金六七万円が、本件事故に基づく原告芳子の損害として相当であると認める。

第四原告組合の請求について、

〔証拠略〕によれば、原告組合は健康保険法に基づいて設立された組合で、原告芳子の父中村茂一は原告組合の組合員であつて、被保険者であり、原告芳子はその被扶養者であることは明白である。

そして、原告芳子が本件事故によつて傷害をうけて厚生年金病院で診療をうけたこと及び被告らが原告芳子に対して本件交通事故に基づく損害を賠償すべき責任があることは、いずれも前記認定のとおりである。

〔証拠略〕によれば、原告組合は健康保険法第五九条の二に基づいて、別表A・Bの(一)の療養費の一〇〇分の五〇、(但し、昭和四八年一〇月分以降は一〇〇分の七〇、患者負担が三万円を超えるときはその部分を加算)に相当する別表A・Bの(二)の家族療養費合計金二一七万一一七二円を前記病院に支払つたことは、明白である。

そうすると、原告組合は同法六七条、六九条の二により、被扶養者である原告芳子が被告らに対して有する前記部分の損害賠償請求権を取得するに至つた。

第五結論

被告らは、本件事故に基づく損害賠償として、原告芳子に対して各自金七四三万六八三二円及びこれに対する昭和四三年一二月一三日より右支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、また原告組合に対して金二一七万一一七二円及び内金九一万一三九〇円に対する訴状送達の翌日たること本件記録上明らかな、被告篤子に対しては昭和四八年八月二六日より、その他の被告らに対しては同月二八日より、内金一二五万九七八二円に対する昭和四九年一一月一六日より、右各支払済みまで、右と同じ割合による遅延損害金の各支払義務があるので、この範囲において原告らの各請求はいずれも正当として認容し、原告芳子のその余の請求を棄却することとし、訴訟費用については、民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言及び仮執行免脱の宣告については同法一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 安間喜夫)

別表A

<省略>

別表B

<省略>

図面(一)〔略〕

図面(二) 現場見取図

<省略>